タイムスリップで雪国文化を学ぶ!

作成: 日時: 2019年4月15日
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雪国観光圏は3県7市町村という広大なエリアにも関わらず古来より川や街道を介した交流があったおかげで相互に関連した文化の形跡をみることもできる。そんな雪国観光圏の幾重にも積み重なった文化を近世から縄文時代まで一気にさかのぼってみよう!

 

北緯37度

2019年

ここ雪国観光圏が位置する北緯37度はリスボン・アテネ・テヘラン、サンフランシスコと同緯度にあるんだけど、その特異性は大量の積雪なんだ。そもそもこの地に大雪が降るようになったのは、8,000年前で、それまでは冬でも寒冷ではあるが乾燥していて、雪もあまり降らなかったんだ。そんな環境の激変にも関わらず我々の祖先である縄文人は移住することなく、その大雪と共生しながらこの地で1万年もの間生き続けたんだよ。

 

熊谷源太郎と石川雲蝶の交差

1847年

魚沼市にある西福寺開山堂は日本のミケランジェロとも言われた石川雲蝶の造形で有名なのは知っているよね。実はその雲蝶の兄弟子にあたる熊谷源太郎という彫刻家がいて、その彫刻が魚沼地方に残されていることは知ってるかな?石川雲蝶の作品や日光東照宮の彫り物は着色しているけど、熊谷源太郎の作品は着色
することなく純粋に木彫りだけで表現してるんだ。津南町の岡という集落にある諏訪神社にもあるんだよ。信濃川流域のお宮の彫刻が素晴らしいものが多いのは、江戸時代が安定して平和で豊かになったことと江戸幕府の直轄地であったことから絵師や彫刻師などが招かれて作ったんだ。各地を廻っていろいろ比較して見るのもいいね。

 

鈴木牧之

1821年

鈴木牧之(すずきぼくし)は江戸時代に「北越雪譜」という雪国の風俗・暮らしを鮮やかに描いた当時のベストセラー作家。また、牧之は絵や俳句でも有名だったんだ。そもそも“牧之”は俳号だしね。江戸時代からこの地では時折俳句の会が開かれており、そこには近隣各地から招かれた地域の人とともに俳句の会が催された。一般の人たちが俳句の会を催すことは、この地域の文化水準の高さがうかがわれることだね。

 

石仏(いしぼとけ)

1660年

1,600年代にこの地域では盛んに石仏が作られ道々に安置されたんだ。当時は10人生まれても半分は死んでしまうような時代が明治初期まで続いたので、そんな子供の供養のためもあったのだと思う。その種類もいろいろなものがあり、造形も興味深い。中にはガンダーラ仏を模した石仏もある。そんな石仏を巡る旅をしても面白い地域だと思うね。

 

戦国時代・中世の山城跡

1615年

各地域地域に“これぞオレのところのお城だ”という城が多い。十日町市は大井田城、津南町は今井城、南魚沼市は坂戸城、魚沼市は下倉城跡、湯沢町は荒砥城、みなかみ町は名胡桃城、栄村は仙当城など…。中でも坂戸城は身近にあるお城で、今でも毎朝走って登るグループがあるくらい。坂戸城周辺の龍言寺跡や大月も含めて巡るのも楽しいと思うよ。

 

縄文・火焔のクニ

BC10002年

教科書に必ず出て来るのが縄文時代にこの地で盛んにつくられた「火焔型土器」。不思議なことに火焔型土器はほぼ新潟県でしか出土されておらず、全国の火焔型土器の4割が十日町市の笹山遺跡近く、1割が津南町の沖ノ原遺跡などで出土されたものなんだ。近くの山形県や富山県には見つかっていない。またみなかみ町にも縄文の遺跡はあるが、その土器の形は新潟と違ったりする。それと比べても面白いね。ただ、いまだになぜこの地に暮らす縄文人が火焔型土器を製作したのかは解明されていない。ぜひ、この地に訪れてそのミステリーを解き明かす旅をしてもらいたいね。(イメージ:十日町市博物館提供)

 

監修/佐藤雅一氏(津南町教育委員会文化財班)